小さな奇跡

私には3人の子どもがいて

そのうちの2番目の子どもは「脊髄性筋萎縮症」という

疾患をもって生まれてきました。

運動発達の遅れが気になり始めたのは10か月を過ぎた頃で

それから徐々に発達が後退して…

2才の時にその診断を受けました。

現在も、 ほとんどの日常生活に物理的介助が必要で

3才の頃から乗っている電動車椅子は

なくてはならない存在となっています。

 

重度の身体障害であるのにもかかわらず

知的な障害のないこの難病は

社会的な理解という側面の中で

数々の悩みと直面しながらの子育てとなりました。

決して平たんではない道のりでしたが

その反面、普通では考えられないほどの

たくさんの方の応援、支援の中での子育てでもありました。

まだ成人するまで少し時間はありますが

これからもまた、たくさんの方々に支えられることと思います。

 

そんな子育て経験の中で、他の病気や障がいを持つお子さんや家族に出会い

色々なことを感じたり、学ばせていただくことも沢山ありました。

もし、この息子を含む3人の子どもたちに出会えなかったら…

今までの素晴らしい経験や出会いはなかったと思っています。

こんな経験出来なかったなぁ

こんなすごい方に出会うこともなかったなぁ

と、しみじみ思います。

それは時に奇跡的な出会いもあったりして

不思議な力さえ感じています。

 

振返り、思うことは

この世に生まれてくる子どもたち…小さな奇跡は、

必ず素晴らしいものを持って

私たち親の元に生まれてきてくれるということです。 

そのことに気づかせてもらえたことは

本当に有難く、ラッキーなことだなと思っています。

 

もしかしたら

親のエゴかもしれません

それでも

この奇跡は真実だと思っています

 

反省だらけの小さな思い出

振り返ると…3人の子育ては、未熟な私にとって容易ではありませんでした。

第一子を産婦人科病院で出産し、退院して自宅に帰った日…

何をしても泣き止まない娘にどうしていいか分からず

こんな小さな我が子を泣き止ますことすら出来ないなんて…

と、母親としてやっていく自信がなくなってしまい

涙が止まらなくなったのを覚えています。

それからも、夜泣きや、離乳食が進まない、言うことを聞いてくれない…

子育ての悩みは山ほどでした。

特に第二子である息子が生まれた後は、ただでさえ忙しい乳児の世話と

第一次反抗期を迎えた3歳の娘の子育てとで

気持ちに余裕のないときには幼い娘をつい叱りすぎてしまったこともたくさんありました。

そんな時は、夜眠った娘に「ごめんね…」と謝った日々も。

それでも、我が子が可愛いから、愛情をたくさん注いできたつもりです。

おむつ外しも育児書どおりにはいかなかったけれど

はじめて成功した時には嬉しくって娘をギューっと抱きしめたことを忘れられません。

また、雨の中、お出かけで家を出る前に「トイレに行こう」と言っても

言うことを聞いてくれない娘の手を引いて、バスに乗ろうとしたとき…

「ママおしっこ」と言われ 、1時間に数本しかないバスを見送り

我慢できないと言う娘を人目のつかない植込みの陰に連れて行って

傘を差しながら、抱っこしていた息子を支えながら

何ともひどい体制で用を足す手伝いをしたことも。

第三子の娘は、少し間をおいて生まれてきてくれた分

少し心に余裕もあったけれど、上の子に振り回されて

ゆったりした母子の時間を持ちずらかったという思いがありました。

「型紙のない子育て」という本があるけれど

本当に、不格好な仕上がりではあるけれど、一瞬一瞬が愛おしく懐かしく

私の記憶の中で輝いています。

そんな風に…決して、手本となる子育てをしてきたわけではありませんが

ベビーマッサージセラピストとなった今は

あぁ…あの時にベビーマッサージに出会っていたらきっと

もっと思い出深い子育てになっていたのではないかと、実感しています。

まだ思春期真っ只中、未成年の3人。まだ間に合う。

親子の絆はいつになっても取り戻すことが出来ると

子どもたちの足のマッサージをしながら思うのです。